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【コラム】服につくられる身体と、身体がつくる服―パーソナライゼーションがつくる未来とは?

自分の身体が好き、そう自信を持って言える人はどれくらいいるのだろう。
自分の身体にコンプレックスを持つ人は少なくない。かく言う私も、実は40kg近い大幅減量の経験がある。きっと身体のサイズなんて関係なく自分らしくいられる人もいるのだろうけど、自分の身体というものは自分の内面とも結びついて、大げさかもしれないけれど、時として自分の実存に関わる問題になる。

ファッションは、私たちの身体イメージの根幹にある。理想的な身体へのイメージは広告やテレビといったメディアのなかで構築されるものだ。なので2000年代からのブロガーの登場は、既存の画一的な「理想的身体」にとらわれない、多様なボディサイズ、年齢、人種や宗教といった人々のファッションの楽しみ方を伝えたという意味で、「ファッションの民主化[1]」をもたらしたと考えられている。

しかし、自分と比較する基準となる“標準的な体型”を意識することは、単に鏡の中に映る自分の姿を頭の中でメディアのなかの芸能人と比べるだけのことではない。服は私たちがそれを身にまとったとき、窮屈さやゆとり、シワの入り方というように、身体で知覚できるかたちで“標準的な身体”と自分自身との差を伝えてくる。

昨今、注目を集めるボディサイズの自動採寸とそれに基づくパーソナルオーダーは、“自分サイズ”の服を可能とする。それはすごく理想的な未来図だ。ただ、採寸してからの購入が元々一般的なスーツやシャツ以外で、順調に普及しているとは言い難い。今回は服と身体の関係を考えながら、“自分サイズ”の服について考えてみたい。

家庭裁縫から既製服へ

かつて衣服は家庭で作るもの、もしくは近しい人や地域の洋品店にオーダーするものだった。和服の時代にもそうだったが、洋服への移行期は各家庭での裁縫がミシンの普及や洋裁学校の増加と結びついて盛んに行われていた[2]。

この時代にはオーダーメイドは特別なものではなく、むしろそれが当たり前であった。しかも原型パターンから自分で引く本格的な仕立てを各家庭で行なったり、近隣の洋裁店に注文したりというかたちで生活のなかに根付いていた。また戦後の洋服の流行は、アメリカンルックやディオールのニュールック、アルファベットラインなどウエストを強調するデザインが多い。こういった服は、身体にぴったりと合うように仕立てる必要があった。

このような洋裁文化は1950年頃をピークに徐々に消滅していき、1960年代には既製服が主流になっていく。その背景には、バレンシアガによるウエストを強調しないチューブ型のサックドレス、クレージュのミニスカートなど「ボディーに密着させずに衣服を造形的に構築する[3]」服の流行も少なからず影響している。

もちろん全ての服が、ウエストマークのないゆったりとしたシルエットへと切り替わったわけではない。だが、既製服へと移り変わったことは服のシルエットの在り方にも影響を与え、きっちりと採寸をしなくても着用可能なものへと変えていった。

サイズ規格と身体の標準化

そして既製服が普及していくうえでは、共通のサイズ規格が必要だった。日本では1952年に日本既製服中央委員会がJIS規格の制定を始め、大規模な採寸データの収集が何度か行われ、標準サイズの改良が重ねられてきた[4]。

サイズ規格には2種類が存在するーーそれは、体型の違いを考慮したものとそうでないものだ。紳士服のスーツやシャツなど体型へのフィットが厳密に求められるものをのぞき、現在一般に流通している服のほとんどが標準体型を基準にした、体型の違いを考慮しないサイズ規格を使用している。男性だったら身長で、女性だったら胴囲を主な基準にSMLが決められ[5]、どれくらいの体型幅まで着用可能かは、各ブランドのサイズ基準や製品ごとのデザイン、素材などによって決まる。

つまり服を着ることによって私たちは、「この身長ならこれくらいの身幅」という“標準的な身体”を刷り込まれているのだ。そこには身長か横幅という選択肢しかなく、ウエストの位置や身体のカーブも無視される。

このように既製服の歴史は、“標準的な身体”と向き合ってきた歴史だ。既製服は私たちに安価に色々な服を楽しむことを可能にし、“ファッション”を自由なものにしたとも言える。けれどもその反面で、既製服はひとりひとりの身体から服を切り離し、“標準”という枠のなかに納める“ファッション”の不自由さも導いたとも言えるのかもしれない。

自動採寸による“自分サイズ”

今日、服は再び、ひとりひとりの身体と結び付けられようとしている。それは、開発競争が進められている自動採寸によって導かれている。

自動採寸はECでの購入時のサイズ問題を解決するだけでなく、固定客の獲得や新規サービスの展開を考えてくためにも重要である。こうした自動採寸、またそのデータを用いたサービスの展開には、現時点で大きく分けて2つの方向性があるだろう。ひとつは、SMLといった既存のサイズ展開のなかでユーザーがどれを購入すればいいかナビゲートするもの。もうひとつが、個々のユーザーのサイズに合わせた服のパーソナルオーダーを可能とするもの。

このふたつは技術的には同じ土台のうえにあるとしても、“ファッション”というものをどうつくりかえていくか、服と身体との関係をめぐる想像力に大きな違いがある。前者は既存の既製服の購入をさらに便利にするものだけれど、後者は今日の私たちが当たり前に着ている服(=既製服)、またその服をめぐる購買と着用の習慣、身体感覚を根本的に変えてしまうものだ。

今日の既製服は、標準サイズを前提として身体にぴったりフィットすることを求めないものが多く、私たちは約半世紀にわたる既製服による衣服文化のなかで、「“自分サイズ”で服をつくる」ということを手放していた。なので“自分サイズ”の服は、その価値を再び提示していかなくてはならない。

私たちが服を選ぶ時、身体にぴったり合う適応サイズを選ぶとは限らず、見た目や着心地を重視して別サイズを選ぶことも多いという調査結果がある[6]。パーソナルオーダーが普及し、“自分サイズ”の服をつくることが再び当たり前になっていくためには、単に着用可能だということを超えて、自分の身体にぴったり合うからこそ“かっこいい”服、着心地の良い服といった今の標準サイズの服とは異なる服、またその選び方までも提案していく必要があるのだろう。

そこで初めて私たちは“標準的な身体”の呪縛から解き放たれて、ありのままの自分の身体を好きになれる服を得られるのかもしれない。

Text: Yoko Fujishima

[1]Emanuela Mora & Agnès Rocamora, ‘Letters from the Editors: Analyzing Fashion Blogs - Further Avenues for Research,’ Fashion Theory, 19(2), 2015, pp. 149-156.
[2]家庭裁縫が行われていた時代の生活文化に関しては、以下の文献が詳しい。井上雅人『洋裁文化と日本のファッション』青弓社, 2017.
[3]同書, p. 211.
[4]サイズ規格の制定の歴史に関する詳細は、以下の文献が詳しい。三吉満智子「衣料サイズの変遷と新JIS規格の概要」繊維学会誌, 54(4), 1998, pp. 109-115. 木下明浩「日本におけるアパレル産業の成立ーマーケティング史の観点からー」立命館経営学, 48(4), 2009, pp. 191-215.
[5]サイズ規格の一例として、以下のサイトを参照。紳士服のサイズ表(AOKI webサイト内)婦人服のサイズ表(Otto webサイト内)
[6]布施谷節子, 高部啓子「既製服のサイズ選択と衣服のゆとりー女子短大生と母親の場合ー」日本家政学会誌, 49(2), 1998, pp. 131-138.
平林優子, 大村知子, 山内幸恵, 駒城素子「衣服サイズの違いに対する適合の評価―若年女子の前あきシャツについて― 」日本家政学会誌, 59(7), 2008, pp. 485-492.

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